山形城は、最上氏初代が1357年に築城を開始し、11代最上義光によって城郭整備がなされました。国の史跡に指定されています。全国有数の規模で、2006年に日本100名城に認定もされました。
山形市の市街地にあり、霞城公園として地元の方々に親しまれている場所です。復元工事が進行中で、当時の姿が徐々に蘇ってきています。
当時の出羽国(山形と秋田)で小さな勢力でしかなかった最上家を大名まで上り詰めさせた、勇猛果敢な戦国武将です。ガタイが良く、筋力が人並外れているだけでなく、豪猛で勇敢な性格だったようです。
山形城の別名を「霞ヶ城」といいます。これは、慶長出羽合戦において、城郭が霞に隠れて敵から見えなかったといわれていることが由来です。
見どころは最上義光の騎馬像
山形城といえば、最上義光の騎馬像です。勇ましい騎馬像にはファンも多いです。慶長出羽合戦(長谷堂合戦)で指揮を執り、先陣切って戦に飛び込む勇姿を銅像にしたもので、非常にカッコいいです。
1600年、有名な関ヶ原の合戦の少し前に起こった戦いで「北の関ヶ原」とも呼ばれます。西軍の上杉景勝vs東軍(徳川側)の最上義光&伊達政宗で、東軍が領地も兵士の規模でも少なかったにも関わらず、勝利しました。
同時に注目したいのが、山形における鋳物職人の技術力の高さです。騎馬像をよく見ると、馬の後ろ足2本のみが台座に接合しており、他に支えはありません。
最上義光の銅像は3トンあるそうで、これだけの重さを一部分のみで支える造りは非常に難しく、山形の職人さんの技術を結集して作られたそうです。3.11震災でも損壊せず、ビクともしませんでした。
山形鋳物は、900年の歴史ある伝統的な産業です。鋳物とは、金属を溶かして型に流し込み、冷やして固めた製品のことです。例えば、銅像や神社の燈籠などが鋳物です。
山寺奥之院の燈籠も山形鋳物
最近では東京スカイツリーのエレベーターの滑車が、山形県の鋳造業者によって製造されたことでも有名です。
騎馬像は、二の丸・東大手門櫓前の広場にあります。
二の丸・東大手門の櫓
東大手門の櫓は内部に入って見学できる
櫓門の巨大冠木は台湾製(国産で調達することが困難だった為)
二の丸・東大手門の櫓は見学無料です。時期によっては、閉鎖されていることもあります。階段上の入り口から中に入ってすぐ、記念スタンプが設置されています。
歩兵第三十二連隊碑。歴代隊長が初代~31代まで弔われている
復元された本丸一文字門
本丸一文字門
高麗門と桝形土塀
本丸一文字門とは、一文字櫓・櫓門・高麗門・桝形土塀・石垣で構成される屈折した道なりの門をいいます。敵の侵入を妨害するために敢えて道をうねうねさせています。
本来であれば石垣の上には一文字櫓が建っていたのですが、必要な資料が見つからない為、櫓の復元はあきらめている状態だそうです。
発掘された本丸御殿の井戸。生活用水の湧水を汲んでいたと思われる
町ナカにある三ノ丸土塁跡
三の丸跡は付近に点在しています。特に目立つのは、築城当時からの土塁と塀が残る「三の丸土塁跡」です。紅の蔵・歌懸稲荷神社の近くにあります。
山形城跡(霞城公園)の基本情報
- 〒990-0826 山形県山形市霞城町1
- 023-641-1212
この記事へのコメントはありません。