盛岡城跡公園(岩手公園)は、岩手県の中心部に位置します。周辺を北上川、雫石川・中津川に囲まれた都市公園です。かつてはここに南部氏の盛岡城がありました。
盛岡城は、1598年に南部信直によって築城が開始されました。洪水や石垣の崩落に対処しながら40年かけて作られたお城です。代々、南部氏が居城として利用してきました。
盛岡藩の初代藩主です。
もともと南部家の人間ではなかったが、いろいろあって26代目に就任します。(後継ぎが生まれなかった南部家に婿として入り、25代目に内定するも直系の実子がその後生まれてしまった。信直は一度辞退し、引きこもりになる。その後、25代目が謎の襲撃を受け暗殺されたため、結局、26代目に信直が就任した。)
廃藩置県をきっかけに建物は取り壊されてしまいましたが、跡地に公園が整備されました。1937年に国指定史跡となりました。
盛岡城跡公園内には、梅・藤・あじさい・バラなどが咲いていて、四季折々の彩りを楽しむことができます。春は桜、秋は紅葉でにぎわうスポットです。
盛岡城の花崗岩が使われた石垣
100名城スタンプ図柄と同じ場所
盛岡城は立派な石垣に囲われたお城でした。東北地方にはあまり見ない総石垣づくりが特徴です。
石垣の高い建築技術を持っていた豊臣秀吉勢力の拠点だったため、技術を取り入れることができたといわれています。
盛岡城やその周辺で掘削された花崗岩が使われています。
火山活動の後、地下で時間をかけて冷え固まって形成された深成岩です。黒ごまみたいな点々があるのが特徴です。石英と長石で主につくられている火成岩で、地球上の各地で見つかる割と一般的な岩石。
城猫と目が合う
本丸と二の丸をつなぐ廊下橋
石垣に映える朱色の橋があった場所に、かつては本丸と二ノ丸をつなぐ「廊下橋」が架かっていました。さらに北側には三ノ丸があります。
盛岡城天守
盛岡城跡からの岩手城下の景色
盛岡城には天守がありません。天守は力の強さや戦いの姿勢を表すものであり、幕府から警戒されないようにあえて作らなかったのではないかと言われています。
南部利祥の銅像台座
広場には銅像のない台座があります。日露戦争で皇族軍人を守って戦死した南部利祥を讃えて建てられました。
1944年に軍需で持っていかれてしまい、現在は台座のみ残されています。
石川啄木の歌碑
盛岡城跡には、ゆかりのある文人の歌碑があります。中学時代の石川啄木が、学校をサボって抜けだして本を読み漁っていたのがこの場所(二ノ丸跡付近)だといわれています。
盛岡城100名城スタンプは1ヶ所設置
盛岡観光コンベンション協会より画像お借りしました
盛岡城のスタンプ設置場所は「もりおか歴史文化館」です。盛岡城跡公園の敷地内にあります(東北銀行本店の近く)。
以前は「ぷらざおでって2F観光文化情報プラザ」にも設置されていましたが、現在は撤去されています。ご注意ください。
盛岡城跡公園の基本情報
- 拝観料:無料
- アクセス:JR盛岡駅からバス(盛岡都心循環でんでんむし)左回り「岩手公園」下車すぐ
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