唐津城天守閣は、唐津平野の満島山に建てられたお城です。唐津平野は佐賀県の左上、ちょこっと突き出た部分ですね。唐津湾から見ると、海上に浮かんでいるように見えるため、浮城と表現されることもあります。唐津市民のシンボル的存在です。
唐津城天守閣とは言うものの、当時は天守閣がありませんでした。現在建っているのは、昭和に建てられた模擬天守です。
唐津城を観光する!アクセス情報
唐津駅から徒歩20分少々、唐津城に到着です。長い階段が続いていますが、お体の不自由な方や天守閣入り口までショートカットしたい方向けに、エレベーター(有料)も用意されています。長い階段といっても、それほどキツいものではなくて、足腰が元気な方であれば5分程で上まで行けます。
▲エレベーター
唐津の城猫に会う
#唐津城 #猫 ずっとここに住んでるんでしょうね。とても慣れた様子で近寄ってくる。ビニール袋にかなり反応してたので、エサが入ってると思ったんだろうな。ごめんね、、 pic.twitter.com/3axPi1X7RL
— 朝式部 (@asasikibu) 2018年11月21日
唐津城の石段周辺には野生の城猫がたくさんいました。ぱっと見ただけでも6匹。人懐っこくてすぐに寄ってきます(エサ目当て)
麓にある早稲田佐賀
階段の麓には早稲田佐賀があります。2010年に出来た新しい学校で、早稲田OBが大隈重信の出身地である佐賀に早稲田の系列を作ろうと尽力して誕生した学校です。
現在、早稲田佐賀の校舎がある土地は「耐恒寮(唐津藩の英語塾)」の跡地でした。この耐恒寮で英語教師をしていたのが、高橋是清です。そして、耐恒寮で学んでいた学生の中から、辰野金吾(東京都丸の内駅舎や日本銀行本店を設計)や掛下重次郎(最高裁判事)などの優秀な若者が誕生しています。掛下重次郎は後に司法省法学校(東大法学部の前身)に入学し、原敬らと共に学んでおり、その優秀さがうかがえます。
唐津城の城主・寺沢広高/唐津の歴史を学ぶ
唐津城が築城されたのは1608年。城主は寺沢広高です。
元々この辺りを治めていた波多氏は、朝鮮出兵の際に命令に背いたことを理由に丸ごと秀吉に滅ぼされます。その代わりに秀吉から派遣されてきたのが寺沢でした。関ヶ原の戦いで東側だった寺沢広高は、戦いの終了後、築城を始め、1608年に完成させたのがこの唐津城です。満島山という地理的に出っ張った部分に建てられていて、唐津湾を見渡せる位置であることから、海城として監視する役割を担っていたと考えられます。
現在の唐津城は昭和に作られた模擬天守であり、実際には当時天守閣はありませんでした。理由は様々述べられており、幕府に配慮した説や名護屋城の天守閣を移築しようとして失敗した説があります。
唐津城の見どころ/虹の松原・玄界灘・松浦川の眺望
▲唐津城の拝観券(500円)
唐津城の見どころは何といっても、美しい景観。一番見ておきたいポイントは「虹の松原」です。
▲島のように見える東唐津。奥に広がる緑の部分が「虹の松原」です。約100万本の黒松の群生林で、寺沢広高が植林したもの。潮風を防いでくれるので、農地を守る役割を果たしています。
右手に流れる大きな川が松浦川、左の湾が唐津湾です。
▲正面にあるのが「高島」です。宝くじが当たるというご利益が信仰されている「宝当神社」が有名で、度々テレビで取り上げられています。目の前に広がるのは唐津湾。
唐津城下の宝当桟橋から定期便フェリー(ニューたかしま)が約2時間に1本出ていて、これに乗って参拝することができます。片道210円で所要時間は10分と気軽に行けるので、出航時間が合えば行ってみるのもあり。
▲高島定期便(ニューたかしま)時刻表
▲西の浜も見えます。唐津くんちの重要ポイント。
唐津城内部は最上部の展望フロアだけではなく、唐津焼が展示されているフロアや観光体験フロア等も楽しめます。唐津藩の産業が紹介されていたり、唐津の歴史に思う存分触れることができます。
▲写真撮影コーナーにあった曳山の被り物。秀吉の兜をかぶって撮影できるコーナーがあったり、お土産売り場も結構充実しています。
唐津城の記念スタンプ
▲続100名城スタンプ
唐津城のチケットカウンター近くには記念スタンプ台があって、多数設置されていました。続100名城のものだけは、カウンターに置かれてます。
唐津に来たら外せないスポット、唐津城のレポートでした。
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