唐津旅の中で私が最も推したいスポットは「曳山展示場」です。秋の唐津神社例大祭「唐津くんち」にて、現役で活躍している曳山14台を間近で鑑賞することができるスポット。
華やかで鮮やかな曳山が勢ぞろいしている様子は圧巻の一言。1台1台どれも造形が美しすぎます。大変感動して気に入ってしまい、1時間ほど眺め続けてしまいました。
曳山の読み方は単体だと「ヤマ」ですが、この場合は「ヒキヤマテンジジョウ」になるようです。
曳山展示場
▲唐津駅前のオブジェ。
曳山展示場は唐津神社のすぐ隣にあります。唐津駅からは徒歩15分弱程度。唐津の街を散策しながら向かいます。周囲には、唐津焼がリーズナブルに購入できる西ノ門館もあります。
曳山展示場を入るとすぐにチケット売り場があります。これは奥の展示場に入るための有料拝観券です(300円)。手前のお土産売り場だけであれば、無料で入ることができます。印象として、曳山展示場のお土産売り場が一番充実していたと感じました。唐津城の2階にも大きめのお土産コーナーはありますが、唐津くんちに関するお土産を買いたい人は曳山展示場の方が良いです。
(上)曳山展示場の入場券。
(上)曳山展示場に設置されていたスタンプ。
唐津くんちの曳山とその歴史を学ぶ
唐津くんちは毎年11月2~4日に行われている秋のお祭りです。当日は約50万人もの人でごった返して賑わいます。唐津神社の起源は、神功皇后が西の浜に鏡を捧げ、住吉大神(唐津大明神)を祀ったことにあるといわれています。地元の方々の唐津大明神への信仰はあつく、遥か昔から唐津神社から大明神をおみこしに担いで、生まれである西の浜まで連れて行くという行事が行われてきたのでした(cf. 公益財団法人 唐津市文化事業団)
1800年代になると、唐津刀町のとある人物が京都祇園で見た山車を参考にして、赤獅子の神輿を作り、奉納しました(1819年)。これが最初の曳山となり、以降それを真似して続々と神輿が作られ、奉納されていきました。
- 赤獅子(刀町/1819年)
- 青獅子(中町/1824年)
- 亀と浦島太郎(材木町/1841年)
- 源義経の兜(呉服町/1844年)
- 鯛(魚屋町/1845年)
- 鳳凰丸(大石町/1846年)
- 飛龍(新町/1846年)
- 金獅子(本町/1847年)
- 武田信玄の兜(木綿町/1864年)
- 上杉謙信の兜(平野町/1869年)
- 酒呑童子と源頼光の兜(米屋町/1869年)
- 珠取獅子(京町/1875年)
- 鯱(水主町/1876年)
- 七宝丸(江川町/1876年)
展示されている曳山は14台。この14台の曳山は佐賀県の重要有形民俗文化財に指定されています。
各曳山は細部まで造形が美しく、色も鮮やかで華美。目の前で見るとその迫力に圧倒されます。木組みや粘土で作った原型に和紙を何百回も貼り重ね、様々な種類の漆を塗りこなして作られており、1台完成させるのに3年はかかっていました。
金箔・銀箔を使って仕上げられている曳山も目立ちます。高さは7m、重さは2~3トンもあるこれら巨大曳山は、世界最大級の漆工芸品でもあります。金額的な価値は現代で換算すると「1億5000万円/1台」。静止状態でこれだけ感動したので、担がれているのを見たらもっとド迫力なんだろうなあと想像。
展示場には、格納庫としての役割もあり、曳山の背後をよく見ると扉になっています。
15台目、幻の曳山「黒獅子/紺屋町」は明治中期に損失
館内には唐津神祭行列図が展示されています。よく見てみると、ここには15台の曳山が描かれています。赤い丸で囲っているのが、15台目の「黒獅子」です。黒獅子の姿を確認できるのは、現在では「行列図」だけ。黒獅子が最後に祭りに参加したのは明治22年で、23年には姿を消しています。失くなってしまった理由は諸説あって定かではなく、唐津に残る謎です。
- 破損してその維持ができなくなったという説
- 山小屋が火災になって曳山の一部も焼損したという説
- 八軒町(当時)の東端のどぶの中に陥ったのを他町から笑われたので廃止したという説
いずれが真実であるかは明かではありません。しかし、町内の人たちの間に曳山を維持していこうとする熱意が薄かったことは確かであったようです。
損失してしまった黒獅子の歴史を知ってから行くと、より楽しめますね。曳山展示場は、唐津くんちの歴史を学ぶ場所であり、展示された圧巻の曳山をゆっくり眺められる場所であり、お土産をじっくり選べる場所です。唐津旅のコースにぜひとも組み入れたいスポットです。
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