瑞巌寺は、828年に慈覚大師円仁が創建した「天台宗延福寺」が由来とされています。その後、一度滅びますが、臨済宗「円福寺」として再度開山されます。
戦国時代を経て再び没落しますが、伊達政宗によって「瑞巌寺」として再興されました。1000年以上の歴史を持ち、大切にされてきたお寺で、伊達家の菩提寺です。本堂と庫裡(台所のこと)が国宝指定されています。
江戸時代に伊達政宗によって再建された瑞巌寺
瑞巌寺総門
平安時代につくられた瑞巌寺(円福寺)は、戦国時代を経て衰えていきました。江戸時代の始め(1609年)に、仙台を治めていた伊達政宗が大伽藍を完成させ、再建をはかりました。数々の粋な建物は、国の重要文化財に指定されています。本堂と庫裡は国宝です。
日本三景のひとつでもある松島は、瑞巌寺を含めて当時から景色の美しい場所として、よく知られた場所でした。ここに伊達家代々の菩提寺を作りたいという伊達政宗の思いは強く、宮大工に土足を禁止したり、落とした釘を使わないように命じたり、かなり力を入れていたと考えられる逸話が残っています。
瑞巌寺の御朱印所、五大堂の御朱印もこちらでいただける
瑞巌寺のオリジナル御朱印帳は1200円
瑞巌寺では、瑞巌寺の御朱印の他に、五大堂の御朱印も頒布しています。慈覚大師の四寺をめぐる四寺廻廊の結願記念色紙には「鼎」の漢字が書かれています。
松尾芭蕉が巡ったとされる慈覚大師円仁が開いた東北地方の四寺をめぐる巡礼です。結願したら、最後のお寺で記念色紙がもらえます。(かっこ内)は最後にもらえる色紙に記載されている漢字です。
- 平泉中尊寺(尊)
- 平泉毛越寺(夢)
- 松島瑞巌寺(鼎)
- 山寺立石寺(忍)
瑞巌寺の拝観券(大人700円)
中門、柿葺で作られている
安土桃山文化を伝える国宝
国宝である本堂に入ると、きらびやかな襖絵に目を奪われます。極楽浄土を表した「室中孔雀の間」にある襖絵は復元ですが、現物は宝物館に収められています。天井の凝った造りにも注目です。
瑞巌寺本堂(国宝)
瑞巌寺庫裡(国宝)
本堂と庫裡は、回廊でつながっています。中でも「上段の間」の豪勢なふすまは見どころです。おくの細道の最中、瑞巌寺を訪れた松尾芭蕉が「金壁荘厳光を輝…」と詠んだ場所でもあります。
庫裡は、お寺の台所にあたる場所です。屋根の上にさらに小さい屋根が乗っかっており、これを煙出しといいます。毎日の生活に使う実用的な場所でありながら、建物には唐草や花の彫刻があしらわれています。伊達政宗の美意識がうかがえる建築物です。
瑞巌寺の宝物殿「青龍殿」
青龍殿には、瑞巌寺に関する重要な資料が収蔵されています。収蔵された資料数は、およそ30000点にも及びます。入口で購入した瑞巌寺の拝観券でそのまま見学できます。
伊達政宗
相馬義胤(そうまよしたね)
青龍殿では、企画展が開催されることもあります。この日は「武将画展」が開催されていました。有名な戦国武将たちがイケイケな感じで描かれ、展示されており、多くの人でにぎわっています。
参道に広がる洞窟遺跡群
岩窟内部には数々の石碑や仏像が安置されている
瑞巌寺の総門から本堂へ向かう道には、洞窟遺跡群があります。供養所として使われていた洞窟が今も残る貴重な遺構です。
東北地方最古の桃山建築「五大堂」とすかし橋
瑞巌寺から徒歩3分程度の場所に、五大堂があります。807年に坂上田村麻呂が建てた毘沙門堂があり、瑞巌寺を開山したときに五大明王像をここに安置しました。これが五大堂の由来です。
平安時代の武将で、征夷大将軍として朝廷と敵対していた蝦夷(現在の東北地方)を討伐した人物です。たびたび東北に来ていたので、東北には坂上田村麻呂関連の建築物が残っていたりします。
「征夷大将軍」とは、蝦夷討伐の為に組織された軍隊の大将のことで、大和朝廷の役職名です。いざという時に、臨時で置かれる役職でした。
五大堂
五大堂に向かって架けられた赤い橋は「すかし橋」といいます。写真の通り、橋がすかし構造になっています。五大堂は、島全体が聖域として大切にされてきました。
参拝前に気を引きしめてもらうため、あえてこのような造りの橋をつくり、自分の足元をよく見させながら参拝客を渡らせたといわれています。
五大堂は拝観無料ですが、日が暮れると橋の入り口が閉じられてしまい、見学できなくなりますので注意してください(17:00頃)。
瑞巌寺の基本情報
拝観料 | 大人700円 小人400円 |
開館時間 | 8:00 |
閉館時間 | 17:00(4月~9月) 16:30(3月と10月) 16:00(2月と11月) 15:30(12月と1月) |
今後も山梨県史跡も勉強します。